どうしてアフガニスタンで争いが続いているのか?

アフガニスタン

ここ数日、アフガニスタンのニュースが報道されているが、何が起こっているのか、何故、争いが絶えないのか?学校では詳しく教えてくれなかったので日本では知らない人が多いのではないでしょうか?

中東の戦争とテロ

そもそも中東ってイギリス目線の呼び方で、どんな国々の事か知ってますか?

中東の東は?

実はインドが東で、ちょっとイギリスに近いエリアのことが中東です。

中東の国々 3 根拠や理由

トルコ、シリア、イラク、イラン、アフガニスタン、

ヨルダン、クウェート、

レバノン、イスラエル、パレスチナ、サウジアラビア、UAE、

イエメン、オマーン

地理と世界史は習ったけれど

私は高校で地理と世界史を履修してますが、中東で争いが絶えないのは何故かを説明できない一人でした。中東を脅かしているのはテロリスト達なのか?それとも、アメリカなのか?誰が正義で誰が悪なのか?歴史的な経緯や立場、宗教など複雑に絡み合っているので池上 彰さんの著書『池上彰の世界の見方 中東: 混迷の本当の理』で学び直してみました。

中東の戦争とテロ

この記事では第二次世界大戦以降の中東の紛争について私が学び直した事、感じたことを記します。

終わらない紛争の理由

この記事を読むと歴史から終わらない紛争の理由を読み解くことができ、この先の世界動向をより深く考えるきっかけになります。

紛争は今も続いている

アフガニスタン、シリア、イスラエル、ガザ、ミャンマーなど世界では紛争が続いて多く難民が自国を離れ、さまよい、子どもたちが常に犠牲になっています。今、私達ができることが何なのか?を考えるためには経緯と現状を正しく理解しないといけないのではないでしょうか?

ソ連がアフガニスタンに侵攻

第二次世界大戦が終わって、第二次世界大戦で最も多くの戦死者を出したソ連がアフガニスタンに侵攻しました。ソ連は「寒すぎるから凍らない港が欲しい」、「国土が広大な故に、防衛上の理由から隣国は味方の国でいて欲しい」との2つの願望がありました。隣国であったアフガニスタンにソ連がいろいろな理由をこじつけて攻め入りました。共産主義のソ連、その始まりのマルクスの「資本論」では『宗教は麻薬と一緒、来世では幸せになれるといったような宗教を捨て、資本家に搾取された労働者たちよ、立ち上がり資本家たちを妥当せよ。』との思想、宗教を否定しる国でした。

イスラムの教えや考えをしっかりと守り抜く、大切にする努力を『ジハード』と言いますが、それを脅かす、宗教を否定する共産主義のソ連が侵攻してきたという構図になります。

アメリカがアフガニスタンを支援

そこに、アメリカの『ソ連の体力を削ぎ落としたい』との思惑が絡まり、アメリカはパキスタン経由でアフガニスタンに地上から飛行機やヘリコプターを自動追尾して撃ち落とせる「地対空ミサイル」を人間が肩に担いで発砲できる武器を大量に流し込みました。サウジアラビアの富豪の御曹司であったウサマ・ビンラディンも『ジハード』としてアフガニスタンのイスラム戦士の中に加わっていました。

ソ連の崩壊の引き金

アメリカの思惑通り、状況は泥沼化し、ソ連がアフガニスタンから徹底します。疲弊したソ連はその後崩壊することになります。

アフガニスタン民族内戦

アメリカの目的はソ連を疲弊させることだったので、アフガニスタンという国、国民のことには興味はなく、荒れた大地が残されることになりました。ソ連が徹底した後の政治体制や国づくりにアメリカが関与せず、アフガニスタンの民族通しの内戦がはまりました。

パキスタンがタリバンを送り込む

そんな内戦のアフガニスタンを隣国のパキスタンが狙っていました。イギリスのインド支配のときに利用されたパキスタンは隣国のインドと仲が悪い状態でした。ヒンドゥー教のインドとイスラム教のパキスタン、宗教の相容れなさを刺激、一方だけを優遇することで仲違いするようにイギリスに仕込まれていました。内戦中のアフガニスタンがインド寄りになってしまうと両国に挟まれるパキスタンが不利になることを恐れていました。パキスタンは紛争のアフガニスタンから逃れた難民キャンプの学生達を集めてイスラムを捻じ曲げた過激派を育てました。そうして育てられた学生たちのことがタリバンです。

アフガニスタンにタリバン政権

パキスタンはアメリカがアフガニスタンに流し込んでいた地対空ミサイルを大量に横領していました。パキスタンは育て上げたイスラム過激派として洗脳教育された学生に横領した武器を渡して「聖戦」という名目でアフガニスタンにタリバン政権を樹立させた。

イラクがクウェートに侵攻

ソ連崩壊前、1989年のマルタ会談でアメリカとソ連の冷戦が終結するとイラクの大統領、サダム・フセインが動きました。石油を狙ってクウェートに侵攻したのです。

サウジアラビアが危機感

そんな中、サウジアラビアはイラクの動向に危機感を抱いていました。サウジアラビアも石油産出国です。サウジアラビアはアメリカにイラクの侵攻を阻止するように要請しました。

アメリカ率いる多国籍軍出動

サウジアラビアから要請される前からアメリカもイラクの動向を気にかけていましたが大義名分がない中で容易に手を出せない状況でした。また、当時のブッシュ大統領(ジョージ・H・W・ブッシュ)は干渉し過ぎも良い結果をもたらさないとの考えでした。なぜなら、中世においてキリスト教が聖地エルサレムを奪還しようとしたが聖地は奪還できず、ただのイスラムからのならず者の略奪集団となってしまった十字軍以降、イスラム教とは水と油の関係いなってしまっているからです。アメリカ単独行動で十字軍と同等に位置づけられることを懸念したブッシュ大統領はアメリカとアラブの多国籍軍にしてイラクを攻撃しました。コレがいわゆる湾岸戦争で多国籍軍がイラクのクウェート侵攻を跳ね返しました。ただ、フセイン大統領は生かされました。フセイン大統領を抹殺することで中東のバランスが崩れて、様々な内戦が起こってしまうことをブッシュ大統領は避けたかったからです。そのため、フセイン政権は存続することになりました。

ビンラディンがサウジアラビアから追放

サウジアラビアがアメリカに救済を要請した時、アフガニスタンからサウジアラビアに戻っていたビンラディンはキリスト教の力を借りることを嫌い、イスラム戦士だけで対抗することを主張しましたが、サウジアラビアの王から国外に追放されることになりました。ビンラディンはアフリカに逃れようとしますがアメリカの圧力でアメリカとサウジアラビアに歯向かう危険人物とされ入国を許されませんでした。そこで、ビンラディンはタリバン政権となったアフガニスタンに国賓として迎え入れられることになります。

ビンラディンがアフガニスタンでアルカイダ

アフガニスタンに戻ったビンラディンは国際テロ組織、アルカイダを育てることになりまうす。アラビア語でアルカイダは基地という意味で、ソ連との戦いのときに色々な国から集まったイスラム戦士達の名簿をつくって集めた基地をアルカイダと呼ばれていました。その名簿をつくり直し、イスラムの国をめちゃくちゃにしたアメリカに復讐するために使おうとビンラディンは動いていきます。

アメリカで同時多発テロ発生

アルカイダは2001年、アメリカ同時多発テロが発生させました。アメリカの富の象徴であった世界貿易センターツインビルのにアメリカの民間航空機をハイジャックして突っ込むという自爆テロ作戦でした。若いタリバンの戦士達にこの戦いの為に死ぬことが天国に行くことだと信じさせ、作戦を理解したアルカイダの若い戦士をアメリカのパイロット養成所に送り込み、操縦技術を学ばせました。熱心な学生達で離陸や操縦の方法を熱心に勉強しましたが、着陸についてはあまり勉強していなかったと当時の教官は後に語ったそうです。世界貿易センタービルだけでなくアメリカ国防総省ペンタゴンにも飛行機がツッコミ、議事堂も狙われていたがその近くが破壊された。

アメリカ、アフガニスタンを攻撃

湾岸戦争時のブッシュ大統領の息子であるジョージ・W・ブッシュ大統領が同時多発テロ発生時のアメリカ大統領でした。息子のブッシュ大統領は「現代の十字軍だ」と宣言した上でテロには屈しないと犯人はビンラディンと特定し、アフガニスタンにビンラディンの引き渡しを要求します。父が懸念した中東イスラム圏での十字軍への憎悪も理解せず、後に側近達に戒められて十字軍宣言を撤回したそうです。

アフガニスタンはジハードを貫き通し、仲間であるビンラディンをアメリカに引き渡すことはしませんでした。テロリストを擁護するのもテロリストだとしてアメリカはアフガニスタンを攻撃します。(アフガニスタン紛争)

学生が地対空ミサイルを持ってタリバン政権は戦ったがアメリカとの軍事力の差は歴然でタリバン政権は崩壊しましたがビンラディンとアルカイダはアフガニスタンから散り散りに逃亡しました。行方不明となったビンラディンが隣国パキスタンで殺害されるまでにはそれから10年の時を要しました。

イラクに大量破壊兵器

湾岸戦争後に国連の査察で核兵器と化学兵器の生産を停止するように指示され、その指示に従っていたフセイン政権でしたが、定期的な国連査察を拒絶するようになってしまっていました。

イラクを攻撃・フセイン死刑

息子のブッシュ大統領はアフガニスタンの次にイラクを標的にしました。未遂に終わりましたがフセイン大統領は父の元ブッシュ大統領の暗殺を計画していたことも明らかになっていました。息子のブッシュ大統領は「イラクに大量破壊兵器を生産している疑いがある」としてイラクを攻撃してフセイン大統領を処刑しました。

スンナ派追放、シーア派のスンナ派狩り

イラクは複雑な国でした。イスラム教にはスンナ派とシーア派があります。イスラム教の教祖であるムハンマドの後継者争いで、教祖の子孫が後継者にふさわしいとするシーア派と教祖が残したコーランという経典を信じることが大切で後継者は大切ではないとするのがスンナ派であり、イスラム教全体ではスンナ派が80%を締めているそうです。フセイン大統領はイスラム教のスンナ派でしたが、イラクではスンナ派の方が圧倒的に少なく、圧倒的に多いシーア派を支配しているという構図でした。

フセイン大統領が処刑され、フセイン大統領の仲間である政党員も全員スンナ派で公職追放されました。フセイン政権を滅亡させたアメリカは「あとは自分たちで民主化できる」としてイラクから撤退しました。それまで虐げられていたシーア派は公職追放されたスンナ派に恨みを返す「スンナ派狩り」が行われるようになりました。襲われるスンナ派は護衛の為に武装することになります。

武装したスンナ派にアルカイダ接近

それまで国の中枢を担っていたフセインの仲間の人物達が武装しながら逃げ回っているところ、アフガニスタンから散り散りに逃げたビンラディンと過激派のアルカイダがスンナ派に近寄ることになりました。共にアメリカに恨みをもっています。

過激派「イスラム国(IS)」

アルカイダの過激な思想とノウハウを吸収したが、仲違いしてアルカイダから追放された武装集団が『Islamic State』と名乗り始めることになりました。

アラブの春とシリア内戦

チュニジアというアフリカのアラブ系の国で独裁政権に対する学生達の民主化運動が成功しました。ジャスミン革命(2010年〜2011年)です。

そのジャスミン革命を契機に中東の独裁政権のアラブ諸国の人々にも民主化の火がつき、シリアのアサド政権という独裁者を倒そうとする反政府軍が揉め始めました。

反政府軍をアメリカ・イギリスが支援、アサド政権をロシアが支援

シリアの揉め事も実はスンナ派とシーア派の争いです。アサド政権はシーア派系で反政府軍はスンナ派でした。独裁政権と民主化の争うに宗教の思想の違いの争うが絡んで、更にはアメリカ・イギリスが反政府軍を支援、地中海に面したシリアの港を目的としてロシアがアサド政権を支援してシリアの内戦は長期化しています。さらに武装集団ISは反政府軍とアサド政権の両方を襲撃して、奪った武器でイラクで戦うという複雑な状況に陥ってしまいました。シリアの難民はイギリスとドイツなどEUに何百万人と流れ込んでいます。

池上彰の世界の見方 中東: 混迷の本当の理由

中東情勢の基本が驚くほどよくわかる

国際紛争の震源地ともいえる中東。
イスラム過激派によるテロが頻発し、大勢の難民が欧州に流入。
なぜこんなことになってしまったのか?
その答えを見いだすには、歴史のどの地点から見直せばよいのか?
池上さんは、現在の中東の混乱は、1978年のソ連によるアフガニスタン侵攻から振り返るとわかりやすい、と言います。
自称「イスラム国」(IS)が誕生して世界でテロが頻発するようになるまで、約40年の間に何があったのか?
大国の身勝手、イスラム教の宗派対立、土地や資源をめぐる争い。
理解しがたい中東の真実が、池上さんによって鮮やかに解説されます。
本書は、池上彰が選ぶ独自のテーマで、世界の国と地域を解説する『池上彰の世界の見方』シリーズの4冊め。
中東とイスラムの基礎・基本がよくわかります。

【編集担当からのおすすめ情報】
中東だけをテーマに、基礎からじっくり解説した池上さん初の「中東本」です。
こんがらがった糸をほぐすように、誰にもわかるように解説する、池上さんの真骨頂の本です。

出典:公式 池上彰と増田ユリヤのYouTube学園

 

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