1500億円のしょうゆ?! ネタバレあり

soysauce

「日本が誇る調味料!しょうゆのお金の秘密」

NHKの有吉のお金発見、普段聞けないお金の秘密を“おカネ大好き・カネオくん”が可視化で解明!家族で楽しめる“おカネ教養バラエティー”!、2021年4月10日放送は「しょうゆのお金の秘密を徹底調査!」という内容だった。(番組公式HP https://www.nhk.jp/p/ts/ZV9LQ94Z3R/episode/te/ZVVMV7M33R/)
しょうゆは日本の食卓にかかせない調味料。しょうゆの日本国内の市場規模は約1,500億円以上。日本国内のしょうゆの出荷量は他の調味料を大きく引き離す年間74.4万kℓ。25mプールの2,000杯分と言われてもピンとこないくらいに大量に出荷されている。酢43.5万kℓ、ソース14.1万kℓ、9.9万kℓなのでしょうゆの活躍っぷりはダントツである。(2019年、日経経済通信「酒類食品月報」より)しょうゆの人気は海外にも。どんな料理にもある万能調味料として世界100カ国以上で販売されており、アメリカ・カナダ・メキシコの3カ国で日本の大手食品メーカーが年間売り上げ約500億円以上を記録。そんな、世界でも大人気のしょうゆ、しらないことだらけだった。全国のしょうゆを知り尽くしたという「しょうゆソムリエ 高橋万太郎さん」(https://www.s-shoyu.com/ddk)が出演し、全国にしょうゆメーカーが1,100社以上、しょうゆの銘柄では10,000以上あり、地域によって味も香りも全然違うと説明。つくられる地域によって味がおおきく異なるなんて知らなかった!色が濃い東の「濃口しょうゆ」、澄んだ色の西の「薄口しょうゆ」すら知らなかったです。この違いは東と西の歴史的背景や食文化がしょうゆに大きく影響したと言われている。

濃口しょうゆ、薄口しょうゆは何が違うの?

東の濃口しょうゆ

江戸の町の開発がキッカケ。今からおよそ300年前、町の整備が大規模になり、多くの労働者が江戸に集まった。多くの汗を流す労働者が塩分やミネラルを補給するために濃い味付けの料理が好まれるようになり、そこで濃口しょうゆが使われる様になり、徐々に広まったと言われている。と、しょうゆソムリエの高橋さんは解説。現在ほど、科学的に食材の成分が分析できていない時代に、疲労した労働者が経験的に味の濃い料理を食べて疲れを癒していたということにも驚いたが、そのニーズに答えるために工夫した柔軟な町人と味が濃くなるしょうゆを製造できる醤油職人の技術にもびっくりする。

(C) 日本食文化の醤油を知る『廣益國産考』の醤油造りの挿絵

西の薄口しょうゆ

見た目を重視する食文化が大きく影響している。諸説あるが1660年頃に関西の薄口しょうゆが生まれた。当時、関西では京料理に代表される見た目の美しさや素材の風味を大切にする食文化が根付いていた。そこに色が薄く料理の見た目を損なわない薄口しょうゆがぴったりで広く使われるようになったとしょうゆソムリエの高橋さんが解説。見た目が美しいという京料理には馴染みがなく、全く想像できない。だだ、調味料で料理の見た目の美しさや素材の風味を損なわないようにするという気質は京都のお寺などの庭の素朴ながらも美しい景色から、なんとなく想像できる。この感覚が日本文化の繊細さなのかもしれませんね。ちなみに薄口しょうゆは淡い色合いに仕上げるために塩水を多く使うので塩分濃度は濃口醤油より2%程度高いとのこと。私含めて知らなかった人がほとんどだと思うので塩分摂取を控えないといけない人は要注意ですね。イメージ的には色が濃い方が塩分濃度が高いという感覚ですが逆なんですね。色を淡くするために塩水を多く使って工夫した当時の職人さんの努力にも脱帽ですね。

京料理

© 2021 macaroni

空前の大ヒット「生しょうゆ」の開発秘話!

我が家の食卓でも何気なく、小さくて冷蔵庫で保存しやすいという理由だけでここ数年使っていたキッコーマンが開発した「生しょうゆ」。ヒット商品だったんですね。というか、「生」の意味、気にしたことなったです。

生醤油

© キッコーマン株式会社

しょうゆづくりの工程をあえて1つ省いたのが「生しょうゆ」

しょうゆのつくり方

現在は機械化が進んでいるが、昔ながらのつくり方は次の5つの工程。

  1. 蒸した大豆と炒った小麦に麹菌を混ぜる
  2. 食塩水を加える
  3. 半年以上寝かせて発酵・熟成
  4. 布に包んでしぼる
  5. 火入れ(加熱・殺菌し色・味・香りを最終調整)

生しょうゆづくりで省く工程

普通の醤油の作り方の最後の「火入れ」工程を省き、加熱して殺菌するかわりに特殊なフィルターを使ってろ過することで微生物をしっかり取り除いているから大丈夫とのこと。

生しょうゆは2010年に家庭用に発売されると「すごくフレッシュな味わい」「和食だけでなくサラダやパスタにも合う」と瞬く間に大ヒット。一気にしょうゆ業界のトレンドとなり、様々なメーカーから発売されるようになった。火入れをしていない分、空気に触れると色や味の変化が大きく一般家庭向けに商品化するのは至難の技だったので商品化されたのが約10年前と比較的に新しい。長年の研究の末に画期的なキッコーマンの「空気に触れない魔法のボトル」発明が成し遂げられたこそ生しょうゆが実現されたとのこと。魔法のボトルは内部が二重構造になっていて、しょうゆが空気に触れないような仕組みになっている。さらに、キャップも空気が入らないように工夫されている。従来の容器だとしょうゆが空気に触れて徐々に酸化、味や鮮度が落ちてしまっていた。魔法のボトルは外側とは別に内部にしょうゆを密閉した袋をつくり、その中を窒素で満たして空気を完全にシャットアウト。キャップにも空気としょうゆ、それぞれ専用の通り道をつくることで内部のしょうゆに空気が触れない二重構造。この酸化を防ぐボトルが大当たり、キッコーマンの密閉ボトルシリーズの登場から6年の年間売り上げは100億円を突破、歴史を変える発明だった。

地域ごとに違うしょうゆの味…そこには驚きの歴史が!

しょうゆはいつ頃からあったのか?食文化史研究家の永山 久夫先生から「誰がいつしょうゆを考案したのかは正確にはわかっていないが面白い話がある」と「しょうゆが生まれたきっかけは偶然だった。鎌倉時代、あるお坊さんが中国で味噌のつくり方を学んで日本で再現しようとしたがうっかり、つくり方を間違えてしまった。桶に謎の液体がたまっていて、その液体こそがしょうゆのもとで、それが『おいしい!』と評判になり、今のしょうゆとなった」との説を紹介された。しょうゆって日本で生まれものだったんですね。知らなかった。中国から伝来したものだと思い込んでました。味噌は中国から伝来だが、その味噌をつくろうとした偶然の産物というのが面白いですね。なんか、ゼロから発明できない日本っぽいですね。

その後、江戸時代になると戦乱の世も落ち着き、食文化が一気に発展。握り寿司やうなぎの蒲焼など、しょうゆを使った料理が一気に普及していった。江戸時代、しょうゆのおけででマグロの価格が急上昇した。江戸時代初期、マグロは江戸から遠く離れた東北の三陸海岸などで水揚げされたものが多かった。輸送に時間がかかって市場に並んだ時には鮮度が落ちてあまり美味しくなかった。だから、マグロは人気がなく価格も低かった。しょうゆが普及したことで鮮度が落ちたマグロでも漬けとして食べれば美味しく、保存期間ものびるのでマグロの価格は一気に高くなっていった。しょうゆ無くして今のマグロ人気がなかったという歴史も永山先生から紹介された。電気、冷蔵庫もなく、輸送手段も発展していなかった当時の状況がなかったら漬け丼という食べ方はされなかったのかもですね。その時の状況によって新しい価値が創造される。コロナ禍での特殊な状況で生まれた文化も先々では当たり前になっているかも。

しょうゆは「うまみ成分」が多く含まれる順に「特級」「上級」「標準」と区分されているが、「特級」のなかでも特に「うまみ成分」が多く含まれるものは「特選」、その上には「超特選」と表記できるしょうゆも出てきているらしい。これまで、しょうゆを買う時には全く気にしてませんでしたが、我が家の食卓でつかっていた「キッコーマンの生しょうゆ」は「超特選」だったんですね〜。

その後、番組では「昔ながらのしょうゆづくりが大ピンチ!?」、「伝統を守り抜くしょうゆ職人に密着!」と日本文化の継承について課題と有志の取り組みが紹介された。偶然の産物であるしょうゆ、この先も進化していくのでしょうが、しょうゆに限らず、その伝統は継承していきたいもですね。既に「透明なしょうゆ」が開発され、洋服のしみにならない等、数億円規模の市場になっているらしい。その上をいく、未来の新しい、画期的な「シンしょうゆ」を企画,発明,商品化したら大金持ちになれるかも!

参考

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出典:キッコーマンKikkoman「おいしい記憶をつくりたい。」 キッコーマンしょうゆ卓上びんの物語