世界地図

World Map

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

地と図、図と地

元来、地を測定して図をこしらえてきた。昨今、Google Map先生など、図から現地点を把握するとこが主になっている。

世界地図

我が家のトイレにはポスタータイプの世界地図が貼ってある。便座に座った時、目の間に世界が広がる。ちょうどよい高さだ。

大掃除

我が家のトイレに世界地図が常設されたのは昨年末の大掃除後。捨てるor捨てない、どっちかの天秤にも乗れなかった世界地図は横幅がトイレの幅にピッタリだった。壁紙を張り替えるほどでもないし、便座に座った目の前に世界地図を貼ってみた。収まりが悪ければ捨てるつもりだった。

国旗

何かが変わると特別に期待した訳ではなっか。でも、便座の前に世界地図を貼ると、用を足す際、今まで気にすこともなかった些細なことが気になりだす。その一つが地図の周辺部に書かれている各国の国旗だ。

 

national flag

首都

便座前の世界地図には首都が明記されている。日本に至ってはTokyoのそばにYokohama、Osakaと明記されている。私が訪れたことがある他国で首都であった都市はパリだけである。我が家のトイレではヨーロッパは国名と首都名が密集している。何度か訪問したパリ、当たり前にオシャレな石畳の通りも犬の糞やタバコの吸い殻が散乱、お酒がこぼされているカフェバーの前通りは足元がネチャ、ネチャッとして気持ちが悪い。オシャレな街であるが、汚い街でもある、そんな街も、目の前の世界地図では他の都市と平等にフラットに描かれている。

 

カリブ海の国々

ディズニーのカリブの海賊、でしか「カリブ」の呼称を耳にすることはなかったが、実際のカリブ海は北アメリカ大陸の南東部。多くの国々が我が家のトイレの小さな世界地図上にひしめき合っている。ここは、Google Mapでトリップ!

フランスとイギリス

地図のあちこちに(フランス)と(イギリス)が出没。現代も世界史の続きの断片に過ぎないと思い知らされるが、そもその、その、本国から遠く離れた場所に(フランス)と(イギリス)が何故に存在し始め、何故に現在もそのまま残っているかを知らない。現地の方はその歴史を受けているのかな?と思いを巡らせていると用を終えて忘却する。暫くし、また、世界地図でそこが目に留まる。明日こそGoogle先生で調べてみようと思うが横やりに負けてしまう。

直線

地形や海など自然な複雑な芸術的ともいえる曲線を世界地図に感じる一方、2つの直線が極めて違和感を放つ。

アメリカとカナダの国境

その一つ目がアメリカとカナダの東西に延びる国境だ。ナイアガラの滝が分断しているのではない。実施、現地にはこんな曲線はない。境界線に壁やワイヤーがあるのかとGoogleストリートビューでチェックしたがこんな直線はなかった。人間がこしらえたいびつな線でした。

アラスカとカナダの国境

もう一つもカナダ。カナダ西北のアラスカ(アメリカ)との国境に南北の真っ直ぐな国境がある。この直線も図であるが故に表現でくる直線であり、実際の地にはこの様な直線は存在していない。

新たな生活スタイル

コロナ禍がきっかけで生活スタイルや価値観を見直す機会を得た。コロナ禍でなくても先のカナダの国境は存在しており、気づこうと思えば気づくことができた。でも気づくことができなかった。

元SMAP、新しい地図

コロナで自粛生活している昨年、2020年3月、まだ100万登録に至ってなかったが人気が出ていたYoutubeの草彅剛さんのチャンネルに遭遇。そこからしばらくTVで見かけなくなった元メンバーたち「新しい地図」の活躍する姿に出会った。今となってコロナ禍で世の中の価値観が進化する速度が加速したのかもしれないが、大手プロダクションを離脱してから既存メディアでの活動を目にする機会が減少していた人気物たちが新しいメディアで試行錯誤をしていた。コロナ禍でTV番組制作も自粛された2020年4月ごろ、特に、先んじて新たなメディアに活路を見出そうとして模索していた人たちが、活動の場を失うことなく、輝いて見えた。

切り拓く者、取り残されてしまう者

2020年、TVというメディアで活躍していた人気物達が大手プロダクションから自主的に卒業した印象が強い。オリエンタルラジオの中田敦彦さん、藤森慎吾さん、手越祐也さん、年が明けても、キングコングの西野亮廣さん。プロダクションではないが高校3年生の騎士の藤井聡太さんが「将棋に専念したい」と卒業を待たずに自主的に高校を退学していたのが報道されたのは昨日(2021年2月16日)だ。人気物に限らず、現状に理不尽な不自由、不便、偏見など、よほどネガティブな状況に陥っていない限り、もしくは、平々凡々である状況こそ、誰もが今いる場所、今の立場、今の収入など失いたくないもの、守り抜きたいという感覚をどこかに秘めているのではないでしょうか?コロナ禍での自粛生活を通して自分自身と向き合う時間が多くなり、それでも、何かはっきりしない現状と未来が見通せない中で湧き出る不安を抱えてしまう私。これまでの居場所や、そもそも、これまでの自分から脱皮する。まだまだ成長・進化しようとする彼らを応援したい。迷っている私も彼らを応援することでコロナ禍で混迷、価値観が変わりつつある時代に取り残されないようにしたい。明日をいい日にするのは、いい日にしよと自分で強く思うこと、昨日までの自分に縛られ過ぎない事だけなのかもしれません。コロナ禍を経験しつつ、これから始まる未来を切り開くのは自分自身であり、気の持ちようである。取り残されてしまうのも自分の気の持ちようだ。と、自分の世界地図、未来地図は自分自身で整理しないとトイレに流されちゃうと肝に銘じる。色々と考えてしまうと、世界地図の右側中央を凝視して新たに覚えたカリブ海の小さな島国の名前を思い出せなくなってしまう。

新たな図と地

皆が否応なしに感じている通り、コロナ禍で状況が変化、進化している。状況を観察、把握・分析して自分の感性で歩くこと。突然、走ることもなく、突然、飛躍することもなく、不意にうつむくことなく、目線を前に、上に向けて強く生き抜こうとする意欲。それこそが大切である。そう思い続けることができる健全なコロロと体が大切。トイレの世界地図はそうした気持ちを思い起こしてくれる元気スイッチになっている。